FUJITSUBOとは?
FUJITSUBO(藤壺技研工業株式会社)といえば、日本が誇る自動車用マフラーメーカーであり、その品質の高さから世界でも注目を集める企業である。その歴史は古く、1931年に藤壺モータース(当時は二輪メーカー)として創業して以来、日本のモータースポーツ史と共に現在まで歩んできた。
日本で最初のフット式オートバイである「イーグル号」の開発・販売、レースチューニング専門ショップの開業などさまざな事業展開を経て、現在の形態であるマフラー事業に専念しはじめたのは1970年代のこと。
当時から高い技術力を持っていた同社のマフラーは、自動車メーカーの純正品と比べても圧倒的で、交換するだけで大幅にパワーアップができると一躍有名に。以降、現在に至るまで、アフターパーツ市場の最前線を走り続けている。
今回はFUJITSUBOのモノづくりを通して、その歴史と魅力について迫りたいと思う。
時代に合ったマフラーづくり
今回お話を伺ったのは、藤壺技研工業株式会社(以下 FUJITSUBO)の取締役部長を務める藤壺さんと、現場のスペシャリストでもある長谷川さんの両名。自動車業界の移り変わりに柔軟に対応してきた同社の軌跡を改めてご紹介いただいた。
藤壺さん
うちがマフラーを手掛け始めた70年代の自動車業界はまさにこれからというときで、数々の名車が生まれた時代だったと思います。
ただ当時の技術って今ほど安定してなくて、パーツ単体で見ると品質にばらつきがあったんです。総合メーカーが作るより、うちみたいな専業メーカーが作ったパーツのほうが性能もよかった。取り付けるだけで性能がポンっとあがった時代でした。
だから、マフラーはレーシングパーツとしても重宝されていました。当時は音量規制もなかったので、レース用マフラーをそのままストリートに持ってきてたりして……今思えばとても自由な時代だったと思います(笑)
音量規制による厳しい制限
アフターパーツの充実化が進み、個人で気軽にカスタマイズを楽しめる環境になるにつれ問題視されはじめたのが「騒音」だ。とくに暴走族の増加による悪影響は甚大で、マーケットは壊滅的な状況になっていった。
藤壺さん
このままでは業界全体が沈んでしまう。それで1989年、当社代表の藤壺勇雄が国内のマフラーメーカーに声をかけ『日本自動車スポーツマフラー協会(JASMA)』を立ち上げました。
日本自動車スポーツマフラー協会 略称:JASMA
現代社会における車の役割と立場を十分に理解した上で、道路運送車両の保安基準を遵守し、騒音、排ガス、熱害等の基準に則ったスポーツマフラーの普及に努める。 また、競技専用の基準外マフラーについては限られた目的に沿った正しい使用方法と適切な販売計画を率先して啓蒙、指導し、これに伴う明確な識別表示と幅広い広報活動を行い、健全な車社会の発展に寄与する事を目的とする。
長谷川さん
JASMA規格をクリアしたものは、保管基準に適合した車検対応製品となります。当社では、JASMA設立と同年に、「レガリスシリーズ(2010年3月以前に生産された車両に適合)」を発表し、車種に合わせてさまざまなバリエーション展開をしてきました。
2010年に、新たにマフラー加速騒音規制ができてからは、新制度に適合させた「オーソライズシリーズ(2010年4月以降に生産された車両に適合)」を軸に展開しています。
当社で販売しているエグゾーストシステムはすべて車検対応です。どんな方でも安心してお使いいただけますよ。
音色のニーズに応える厳しいテスト
マフラー交換は何もスポーツカーのみの楽しみではない。これまでFUJITSUBOでは、軽自動車・ミニバン、小型・中型セダン、ステーションワゴン、オフロード4WD向けなど多彩なラインナップで展開してきた。当然、車種によってユーザーの趣向も変わるため、そこに合わせた設計が必要となってくる。
長谷川さん
パワーアップというのはもちろんなのですが、近年はニーズも多彩です。特に“音色”に関しては顕著ですね。
たとえば運転席で聞こえる音だけでなく、後部座席に乗った女性や子供たちにとっては不快ではないか? 登り坂で音はどうなるのか? 低速で走ったときに音は篭らないか?
パワーが上がっても音が悪ければ、お客様は選びません。性能はもちろん、あらゆるシーンで音色を確認した上で製品を展開しています。
時代が変わり技術も進化した現在では、メーカー純正品の性能もかなり高い。だからこそ、性能アップだけでない部分も重要になってきた。ユーザーがクルマとの生活をより楽しめるような製品を届けること──。
時代によって細かなニーズは異なるものの、「最高の製品作り」という姿勢は創業当初から変わらないのだ。